2014年3月11日火曜日

学生FDサミット2014冬 「あなたが作る、大学最高大作戦~めざせ意識改革~」

出張報告書(別紙詳細版)

所属・職・氏名
教務課 係長 村山孝道
日時・場所
2014/3/7(金)~9(日)   於;東洋大学
テーマ
学生FDサミット2014冬
「あなたが作る、大学最高大作戦~めざせ意識改革~」
目 的
①諸大学の学生FD活動の情報収集を行う
②諸大学の教職員・学生と情報交流ネットワークを作る
プログラム
<初日>
■学生FD概論Ⅰ
■今が旬!学生FD活動取り組み紹介(日本大学・筑波大学)
■分科祭の部
■懇親会
<二日目>
■学生・教職員合同テーマ別しゃべり場
■学生・教職員合同テーマ別しゃべり場成果報告会
■ファイナル「学生FD活動の方向性を問う」
■サミットエンディング

<はじめに>
 3年前、関東初学生FDサミットを開催すべく法政大学の学生・教職員が準備を進めていた。しかし、サミット前日の東日本大震災によって、その努力は水泡と帰した。前日入りすべく東京に移動していた本学の学生数名も、新幹線の中、レジャー施設のレストラン、最寄りの駅、ホテルなどに閉じ込められ、パニックの中情報が得られず、電話もつながらず、唯一の通信手段であったSNSを駆使してやりとりし、不安な一夜を過ごしたことがつい昨日のことのように思い出される。
 あれから3年、ついに学生FDサミットが東日本で開催された。今では大学院生となった、当時を知り、当時の企画の一員であった学生が中心となり、東洋大学での開催にこぎつけたのである。「西高東低」と言われる学生FD活動。十分な参加者が得られるだろうかという不安の中で企画がなされたが、蓋をあけると65大学という過去最高の大学数からの参加を得るに至った。執念を持ってこの3年間、東京開催に向けて頑張った東洋大学のリーダー学生には大いに敬意を表したい。
 今回のサミットがこれまでと違う一番大きな点は、実行委員会方式をとっていることだと思う。東洋、青山学院、嘉悦、創価、横浜国立、法政、明星の8大学の学生・教職員が実行委員会を形成して作り上げた。大変な努力があったことであろう。当日の運営での他大学教職員の動きを見ると、このサミットへの相当なアイデンティティとコミットメントが育まれていることが見て取れた。これほど、他大学の教職員が「お客さん」ではなく、右に左に走り回っているサミットはこれまで無かったのではなかろうか。以下、まずはサミットに関する基本的な数値情報をまとめる。

<基本的な数値情報>
参加者数    : 312名
参加大学数   : 65大学
本学からの参加 :11名(内2名職員。申し込みは12名で1名は体調不良で欠席。)
※実際の参加者数や教員・職員・学生数比率などは後日集計されると思われる。
 
 UNGL(大学間連携GP)のサイパン研修直後であったこと、卒業していく先輩のための卒業記念パーティーの準備、FSDブックレットの編集作業、また遠方であることなどなど諸般の事情で、参加者数は昨年夏の29名(日本一)から大幅に減少した。それでも、申し込みベースの12名は、単独大学からの参加者数としては、岡山理科大学18名、日本大学16名についで3位であった。学生は、UNGLの経費を活用し、マイクロバスで参加した。




 サミットへの参加はFSDプロジェクト(及び中央執行委員会)にとって以下の7点の効果がある。

  1. 発表の場
    1. 「試合」の場、とも言える。本番に向けて「練習」(事前準備)が行われる
    2. 「試合」を控えた「練習」時が最も危機意識が高まり、成長する
    3. 全国の同年代との「他流試合」であるので、気合が入る
  2. 交流の場
    1. ほとんどの学生が初めて他大学生と知り合う
    2. 知りあう学生は大学の規模も多様、学問分野も多様。さらに、全国からの学生。
  3. 意識向上の場
    1. 新入生はこれからの大学生活に向けて意識向上(生徒から学生)する
    2. 上級生はマンネリ化しつつある日常の活動に、刺激を得てもっと上を目指すようになる
  4. 帰属意識涵養
    1. 事前学習によって大学の基本情報を学ぶ
    2. 他大学と交流することで自大学を知り帰属意識が芽生える
    3. 名刺を作成する中で「京都文教代表」の意識が芽生える
  5. 新規メンバー獲得の場
    1. サミットに参加してFSDの活動に参加する学生が毎年いる
  6. チームビルディングの場
    1. 発表の準備などを通してチームの結束力が上がる
    2. 団長・副団長を作り、事前準備から団体行動をすることで結束力が上がる
    3. 団体(主にFSDと中央執行委員会)をこえたチームビルディングができる(その後の活動に活きる)
  7. 教・学・職協働の場
    1. 荷物の準備、運搬、事前学習、各種アドヴァイスなどを通して本学職員と面識を持つ
    2. 他大学の教職員と出会い、本学の教職員との違いを感じる
    3. 他大学の教職員と学生との関係性を知り、本学との違いを感じる

以下、参加プログラムについてそれぞれ簡単にコメントを行う。

■学生FD概論Ⅰ及び■今が旬!学生FD活動取り組み紹介(日本大学・筑波大学)
 6.5万人、90学科を要する超巨大大学の日本大学。キャンパスや学部が、それぞれ独立大学のような様相を呈しているのが特徴である。よって、今、日本大学に必要なのはサミットに参加して日本中の大学生たちと出会うことよりも、むしろ同じ大学内の他学部や他キャンパスの学生と出会い、理解し合うことである。サミットはそのための情報収集の場ということになる。今回、第一回大学内サミット「CHAmmiT」(参加者167名)についての報告があった。良いアプローチだと思う。誰もが納得できる方向性と方策だ。今後も当面は90学科へのアプローチを続け、多くの学科からの学生・教職員を集め、「対話の場」を生む仕掛けを続ける模様である。規模が大きいだけにこのミッション達成にはしばらく時間はかかることだろう。
 日本大学とは違い、筑波大学は4×2キロメートルの広大な敷地を要するワンキャンパスにすべての学科が入っている。郊外に作り上げられた、典型的なアメリカリベラルアーツ型の大学であり、「学問や真理の探求、研究」の色彩が濃い。学部は無く、科目は「学類」ごとに分けられる。数千という膨大な科目が開講されており、尚且つ、学生にはその膨大な科目を学際的、横断的に履修することが期待されている。しかし、その膨大な科目の情報を効果的に得る術が用意されておらず、絵に描いた餅になっている。そこで筑波大学の学生FD活動の柱として、各学類を専攻する学生がシラバスとは別に「おすすめ」の科目をピックアップ、教員ヒヤリングを含め、学生の視点で授業を紹介し、他の学類を専攻する学生に紹介する冊子を作る活動を行っている。
 同じ大学にもかかわらずキャンパスがバラバラで、「全国の学生たち」よりもむしろまず先に「同大学の他キャンパスの学生たち」と出会うことを目的としている日本大学と、キャンパスは一つでも膨大な開講科目の中で溺れそうになっている学生を救済しようという筑波大学の事例は、興味深いものであった。
 本学は、上記2大学が抱える問題に対してエネルギーを割く必要は全くない。もっと現場に、もっと深く、もっと学内に幅広く、アプローチできる。学生FD活動において、「小規模メリット」は随所に見られるが、今回の報告を受けて改めて学生FD活動においては本学のサイズを「強み」に変えることができる、と感じた。

■分科祭の部
(1)アクティブラーニング(レクチャー) 講師:三浦真琴氏(関西大学教育推進部教授)
「アクティブラーニングは単なるスキルのことではない、哲学が必要な営みのことである」という。アクティブ・ラーニングの反意語はパッシブラーニング(受動的学習)である。本来、ラーニングはアクティブな営みである。

「学習とは学習者が能動的に意味を探求する営みである。知識を受動的に得るのではなく、それを構築する営みである。その知識は経験に寄って形作られるものであると同時に、これから先の経験を構築していくもととなるものである。(American Assosiation for Higher Education 1998)」

 では、LearningをActiveでなくしているのは何か。それは、「知の断片化」「知の移転=教育」というスキーマである。「知の断片化」とは、たとえるならば「ステーキを見せて牛の絵を書けといっても書けない」ような状態を指す。社会、歴史、文化、その学問の全体系、そして日々の生活と関連付けを行いながら「意味」だけではなく「意義」を同時に伝え、実感させるべきである。部分の意味だけを教え、記憶した「意味」の量や解答の「正確」さだけをはかる教育をしていると当然「受け身の学習者(パッシブラーナー)」が育つ。
 同じように、「意義」ではなく「意味」を伝達する、即ち「知の移転」が教育である、と思っている教育者がいかに多いかということが今日の課題だ。そこにはその学問や、その授業に対するエモーショナルな欲求は生まれにくい。だからこそ「アクティブラーニング」という哲学を使って教育のパラダイムをシフトする必要がある、という。大学の教員が保証すべきは、知の移転ではなく、知の正当性でもなく、「学生の知への接近」である。教員はTeacherではなく、もはや、「デザイナー」「カリオグラファー(振付師)」であるべきである。教員は学びを保証するために「Teaching(教えること)」を見直す必要がある。心がけるべきことは「How to coach, What not to teach.」であると言う。ゴールは丸暗記をさせることではない、ということにはすべての教員が共感するのではないか?ゴールは、学生を「学習者」に育て、限られた時間で教員自身が教えたことよりも、もっともっと多くのことをこの後の人生で自ら学んでくれる人材に育成することではないか?教員は「教える」のではなく、「問」を発する、そして、最終的に学生が自ら「問」を作れるようにCoachする、それが教員であり、あるいは人生の先輩としての職員の職務とも入れるのではないか。
 知の獲得モデルは以下の3つだ。

勉強モデル・・・問と答えがパッケージ
学習モデル・・・問は教員が与え答は与えない
学問モデル・・・問を自分で発見する

 企業が大学に、「いまどきの学生は指示待ち人間が多い。指示をすればちゃんとやるが、指示しないと何もしない。大学では自律的に動ける学生を育成して欲しい。」という。これは即ち、勉強モデルと学習モデルしかできていない、という結果ではないだろうか。

(2)僕の私の学生FD活動~これから大学をよりよくしたいあなたへ~ (立命館大学加藤氏、筑波大学●●氏)
 予算削減、林立する様々な団体の中で学内でのプレゼンス低下という問題を抱える大規模大学の学生FDでは、「学生FD自身の成長」視点だけでは不十分で、目に見える定量的な「大学全体への成果」を大学から求められるつつあるとのこと。そのために学生FDスタッフは「苦しい」と言いながらも、諸活動を行い、また企画し、成果を生もうとしている。自分たちの「居場所」を守るため、ということなのだろうか?
 気持ちや論理はわかるが、それなら業務で教職員がやれば良いのでは、と思う。あるいは有給にするということもあるだろう。ボランティアに求めるべきものではないように思える。
 学生は学生FD活動をしに大学に来ているのではない。勉学をしにきているのだ。しかし、学生FD活動は、①扱うテーマが大学の本丸、教育そのものであり自治会やクラブ・サークルとは違う②そのために大学・教職員との連携がはるかに強い③よって活躍すべきフィールドは全学レベルでありステージが華やかでその分ハードルも高い④ハードルが高い分スキルアップや知識・情報を得ようとする作用があり学生が成長する⑤尚且つ全国に広がりを見せ大学間交流、学協会での発表など更に一歩ハードルの高いステージがある、という特徴がある。学生がそのステージ・フィールドで自己実現のために活躍することが、大学の活性化や大学の教育環境改善に繋がるのである。定量的に成果をはかり、大学に提出することを目的にしてしまった学生FDに、どれだけの学生が魅力を感じ、活き活きと活躍してくれるのだろうか。メンバーを集められるのだろうか?私なら絶対にそのような活動には参加しないだろう。
 本学の学生FDは現時点でその対極にある。学生の自己実現、自己成長を主眼に置き、尚且つそれが大学にもメリットをもたらす、という、「自利即利他」の精神を貫いてきた。それが本学のFSDの最大の強みだと思う。



<二日目>
■学生・教職員合同テーマ別しゃべり場、■学生・教職員合同テーマ別しゃべり場成果報告会
 小樽商科大学、熊本学園大学、岡山大学、九州共立大学、龍谷大学、日本大学の学生6名と同じグループでしゃべり場を行った。テーマは「大学生論」。この教職学、大学間、学年間、学問間バラバラの人々が「大学人」として集うしゃべり場はサミットの目玉だ。このメンバーで3時間弱を共に過ごした。自分自身としては、自分が議長にならないことは当然だが、その中で話しすぎる者、話を遮る者、話をちゃぶ台返しする者に対する「介入の間合い」を今回の自己テーマに置いて参加した。種々実験を試みつつ、誰も悪者を作らず、しかし議論を促進させ、小さな声が拾われるような、場作りを「フォロアーの立場で」実践した。個人的に大変有意義な時間を過ごせた。
 議論はテーマが大きいことから大いに拡散、収集はなかなか付かなかったがそれはそれで良いだろう。最後は全員初めて出会った全国の「同志達」と一緒に写真をとって、名残惜しく別れた。

■ファイナル「学生FD活動の方向性を問う」
 日本大学でゼロから学生FDを立ち上げ、まもなく卒業する女学生が思いを語った。自分が成し遂げられたのは、丁度大学のFD活性の動きとたまたまタイミングが合ったため。大学との協働なしには大きなことはできない、というのが彼女の結論である。たしかに、90学科あるマンモス大学で一人の女子学生が立ち上がって伝説を作り上げる、というのは並大抵のことではないだろう。
 それにしてもこの女子学生、実行力、他者への配慮、目配り気配り、企画力、そして何より高いマインドなど、やはり並外れているものを感じる。このような学生を大学職員業界にどんどんリクルートしたい、と感じた。

■サミットエンディング
 サプライズとして立命館大学の沖裕貴先生が登場された。沖先生はいわずとしれた高等教育会のメジャーリーガーで、立命館大学の教育開発支援センター長。大学教育学会理事、日本教育情報学会理事、日本高等教育開発協会理事などを歴任されている。得意領域はピアサポーター制度である。その沖先生が、学生FDサミットのエンディングにサプライズで登場され、「ピアサポーターと学生FDの類似点と相違点」という趣旨で講演をされた。学生FDの学生たちが「疲れた」とよく言うことに対し、「定義がよくわからない」「活動の範囲がよくわからない」というところが原因ではないか、という指摘をされた。これは大いに共感できる。サミットに参加する学生は非常に多種多様で、自治会、学祭実行委員、サークル、イベント企画団体などなど、様々である。「いっそFDの呪縛からはなれ、学生スタッフで良いのでは?」というご提案はその点でごもっともである。有給・無給・単位の有無は様々でも、大学で活躍する学生をすべて学生スタッフと呼ぼう、ということである。これは面白い。その上で、

(1)学生業務スタッフ・・・大学から委託された業務や調査研究を行う
(2)ピアサポーター・・・学生同士(peer)が専門性を持つ教職員の指導のもと、仲間同士で援助し学び合う業務に従事するスタッフ
(3)学生FDスタッフ・・・FDに特化した学生スタッフ

という風に定義づけられた。現在(1)(2)(3)をそれぞれの大学の特徴の中、単位や給料がない中でそれぞれ意義を見出しつつ活動しているのが学生FD達である。その学生たちを、業務なら(1)で給料をもらえ、(2)は学生FDの領域ではない(のでしてはいけない)、という風に受け止める事が出来る。この事については、現場での体験(いや体感)上、共感することが難しいと感じる部分がある。それは、果たして、(3)だけを目的に、学生は「やりたい」といって集まるのだろうか?もし集まるとしたらそれはどんな学生たちなのだろうか?学生の顔が浮かんでこない。それが直感的な感想である。教職員だけでは限界がある、なので学生の参画を、と言って始まった学生FDに、学生を本当に動員できるのだろうか?というのが率直な気持ちである。絵に描いた餅になるのではないか、という懸念である。
 本学は、(1)~(3)に自己実現を求めて学生が集まってくる。それぞれの学生の求めているものは微妙に違っている。(1)を求める学生も(2)寄りの学生も(3)の学生もいる。しかし、最終的なゴールを「FD(教育改善)」に位置づけることだけを徹底し、例えばFDの学生が「体育祭をやりたい」といったらそれは違うよ、と伝える、ということだけを行ってきた。
 他大学の教職員の多く(いや殆どと言ってもいいのでは?)の方々から、「京都文教のFSDは良いですね、うらやましい」と言っていただける。学生が、自己実現のために集い、それを大学はとことんサポートし、そして、その恩恵(FD講演会講師、就業力WG勉強会、京都文教入門、自己の探求、リーダーズキャンプ、国際交流フェスタ、プロジェクトPRフェスタ、などなど)を大学が受けているからである。学生もその自負があり、サミットでは他大学生にさんざん「自慢」をしてくる。そして毎年のように「京都文教に編入したい」と言ってくれるブランド大学の学生がいる。これで、良いのではないだろうか。そう思えてならない。

<まとめ>
 学生FDサミットは2009年から始まり今回で8回目。当初はほとんどの時間が「しゃべり場」であった。丸二日、しゃべっていた、という印象だ。その時は、とにかく仲間を作って、お互いの悩みや強みを「深く狭く」知りあう場であった。昨今は学会的な要素が強くなり、ポスターに美しくまとめられた活動を段取り良く見て回り、多くの情報を短い時間で獲得できるようになった。そのメリットは確かにある。しかし、ポスターやミニ発表でコンパクトにまとめられた内容からは、その背後のメンバーの心の葛藤や苦難、やっと生まれた難産のアイデアがいったいどんなキッカケで結晶化したのかなどの「ものがたり」は全く見えない。そこが昨今のサミットの弱みであろう。参加学生にはその弱みを伝え、「だからこそ仲間を作って、懇親会やその後のメールや電話でのやりとりでより生々しい情報を得よう」と伝えている。
 それでも、65もの大学が一箇所にあつまり、次々に出会える機会など他に無い。今後もどんどん、学生のSD(Student Development)と、職員のSD(Staff Development)の場として活用していくべきであると考える。願わくば本学にも、高等教育やFDに感心のある教員を生み出し、教員の参加者を得たいものである。



以上

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