追手門学院大学創立50周年記念講演会「自校教育のいま」
出張報告書(別紙詳細版)
所属・職・氏名
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教務課 係長 村山孝道
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日時・場所
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2012/12/8(土) 追手門学院大学
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テーマ
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追手門学院大学創立50周年記念講演会「自校教育のいま」
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目 的
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京都文教入門2013検討のための情報収集
FSDプロジェクトの学生2名を引率
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プログラム
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講演
①「自校を知り、自分を見出し、未来を考える -自校教育のすすめ-」
寺崎昌男氏(立教大学)
②「それぞれの大学で創るそれぞれの自校教育-全国大学実施状況調査をふまえて-」
大川一毅氏(岩手大学)
③シンポジウム
座長:梅村修氏(追手門学院大学)
参加者数約150名
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追手門学院大学の創立50周年記念事業の一つとして自校教育のシンポジウムが開催された。京都文教入門2013の検討に向けてFSDプロジェクトの代表および副代表の2名を帯同した。
高等教育会の大御所、寺崎氏がご自身の長い経験と深い高等教育への愛情に裏打ちされた「物語」を、大川氏は大学評価学位授与機構の全国大学実施状況調査のデータに基づいた網羅的且つ分析的な報告をされた。以下はその要点。
1.講演① 「自校を知り、自分を見出し、未来を考える -自校教育のすすめ-」
寺崎昌男氏(立教大学)
「JALパック(上智・青山学院・立教)」と呼ばれる3大学の一つとしての立教大学。男子の半分は早稲田を目指し、女子の半分は慶応を目指し手が届かなかった学生。いわゆる、在学生の多くが「不本意入学者」であり、且つ、JALパックのいずれでも良かったという学生達(つまり立教大学へのアイデンティティはほとんど無い)。それは、寺崎氏が1997年に「思想の現代的状況4『大学論を読む』」という教養科目の講義を開講した時に初めて知った現実であった。受講者45名程度の小講義。一般論としての「大学論」として開講したが受講者から全く反応が無く、4コマ目に急遽「立教大学論」(いわゆる自校教育)に切り替えた。その中で、立教大学の歴史、戦時の失敗、ハラスメントの恥部などを話された。特筆すべきは「私と立教大学」という、講演者に非常に引きつけたテーマ。受講者の反応はすこぶる良く、多くのコメントが寄せられた。「20年間授業をやっていて、これほどの反響を得たのは初めてであった」とのこと。
この他、東北大学、獨協大学、桜美林大学での自校教育の経験を経て、得られた一つの確信は以下である。
- 「満足」とは「欲して」いて初めて得られる
- しかし彼らは欲していたわけでない
- なぜならJAlパック(等)でよかった
- ではなにか
- 安堵したのだ。満足ではない。
- 逆に言うと、全国の300万人ぐらいが安堵していないという事実
- 東大の新入学生3200人。彼らだって不本意。教育→文学→法学→医学→理3
- 日本全国の大学は不本意入学生で溢れかえっている。
- 自校教育に必要なのは「安堵を与えることである」
もう一つ、日本の大学が米国の大学に比べて高校生達に大学のことを知らせていない、というお話をされた。小学校から高校まで米国で過ごしたご自身の甥が40日間自宅に滞在した際に気づかれたことである。彼は参考書などもっておらず、持ってきたのは一般の教養書と専門書。自分が行きたい大学のことを良く知っている。大学の情報にアクセスし自分に不足している能力を事前に調べ、高校時代に補う努力をしていた。彼の場合は読書経験とボランティア経験の不足を事前に指摘されたのでそれを補う努力をしていた。それに比べて日本の高校3年生は、参考書の勉強、受験勉強のみであり、大学は偏差値順に並んだ大学のリストを見る。個別の大学をほとんど知らない。これは制度の問題、大人の責任。
また、 「満足度、帰属意識、自校愛」が高まることで大学は「生涯の故郷」となりえるという点について言及された。自校愛を持たれる大学、「いつでも立ち寄る『泉』」を目指すアプローチとして、シニアへの大学開放についても触れられた。シニアに大学を開き、近隣の住民、卒業生などを招き入れる戦略のことで、立教大学で大当たりした「セカンドステージ大学」の事例を紹介された。これはOECD加盟国において異様に低い日本の社会人学生比率(2.7%)へのアプローチになる。この率の低さは教育文化の違い、軍役との関係、授業料の私費/国費の違いなどが関係していて一概に大学だけの責任とは言えないが、それでも世界的に見て例えば1回生の授業の99%が18歳か19歳というのは異常である、という認識を持つべきである、とのこと。多様な年代が教室の中にいるべきである。特に、自校愛をもった卒業生などが教室に常にいる、というような環境を創ることは非常に重要である、というお話は非常に印象的であった。
2.講演② 「それぞれの大学で創るそれぞれの自校教育-全国大学実施状況調査をふまえて-」
大川一毅氏(岩手大学)
科学研究費補助金で実施された「大学における自校教育の導入実施と大学評価への活用に関する研究」を題材に、報告をされた。
- 自校教育を実施する大学が増えている理由
- 不本意入学増加
- 大学への愛着の欠如
- 就学意欲の喪失
- 質保証が求められる環境の変化
- 人材像や能力の明示
- ミッションの明確化
- 大学のパワーを集約しきれぬ物足りなさ・歯がゆさ、大学の活力の欠如
- 公立の小学校の卒業生の感覚
- 傾いたら卒業生が寄付するというより行政のすることでは?という意識。
- 愛着は無いわけではないが強くはない
- 自校教育の狙い
- その大学で学ぶことの意味
- 自らの居場所としての認識
- 愛校心の醸成
- その他
- 最近では「健康・安全」「キャリア教育」「人権教育」「地域論」「問題解決学習」「卒業生の講話」など、直接的に自校教育とは言えないものも必要に駆られて入ってきている。
- 初年次教育の集計・累計
- 初年次教育必修化が進んでいる。48%(ただし初年次として。自校教育15コマを必修ということではない)
- 授業の実施形態は講演会単品から15コマの「フルパック型」まで様々
- リレー式が多い 82%
- コーディネーターが存在(授業計画の企画、教員公使館の連絡調整、シラバスの作成、成績評定、授業実践)。負担がちょっと重い。過度の負担が集中する傾向。
- 最大公約数的な自校教育は下記
- 授業ガイダンス
- 建学の精神
- 自学の歴史(戦前期)
- 自学の歴史(戦後教育改革・新制大学)
- 自学の歴史(大学の発展・拡大)
- 学部の歴史(前身校史も含む)
- 大学キャンパス(建築、遺跡、自然)
- 自学における様々な研究活動
- 学長・学部長の講話
- 地域と大学
- 卒業生講演
- 大学と関係する人物
- 学生論
- 大学の現況と将来像
- 初年次教育の特徴
- いろんな人を巻き込んでいろんな展開をすることも可能
- 大学の職員が係わることも可能
- 職員参画角形授業の事例として広島大学「広島大学のスペシャリスト」
- 職員が憧れの仕事になってきている
- 卒業生との関わりが密になる特徴も
- 「一橋大学の歴史」では同窓会組織如水会が授業内容の資料調査・授業の企画運営、授業実践にあって多大がな協力をしている
- その他の事例
- 大分大学「大分大学を探ろう」
- 学生がテーマを設定して研究→講義
- 北海道大学「北大エコキャンパスの自然と歴史」
- なんのためにやるか
- 理念の理解
- 歴史
- 帰属意識
- 学習意欲の促進
- 授業だけで愛校心など生まれない。むしろ、自らの居場所、学び、生き方のはじめの一歩を提供する目的
冒頭に追手門学院大学学長が「今不満な者は未来も不満。永遠の不満のスパイラルになる。今、幸福を見つけられる者は未来も幸福になる。」とおっしゃったのはとても印象的であった。寺崎氏が「現在は日本中が不本意大学生であふれている。東大の文は東大の理、理は法、法は医、医は理3に対して不本意と言っている。一方理3なら幸せかというと必ずしもそうで無い。『たまたま自分の偏差値にあうところがここしか無かっただけ』と平気で言う。」という話とシンクロする。偏差値が高ければ「満足度、帰属意識、自校愛」が増すかといえば必ずしもそうではない。逆に、「今幸福をみつける」手助けをすれば「満足度、帰属意識、自校愛」は生まれる。中小規模である逆メリットを活かし、大手より高い「率」の学生に「様々な仕掛け」を行い、「今の幸福」を感じてもらう。正課内外あらゆるリソースを駆使して仕掛ける。それこそが偏差値が高いわけではない、中小規模の大学の勝負所といえるだろう。
次年度京都文教入門への示唆としては、まず、「最大公約数」的な自校教育は、帯同した学生は「聞きたくない」という反応であり、過去3年の経験でも私自身「効かない」と感じた。いくつか受講生に寄り添った特徴的な他大学の取り組みが紹介されていたが、その中でも本学の、学生が企画・立案・運営に深く携わり、実際に教壇に立ち、京都文教の魅力や使えるリソースを先輩(生き証人)が後輩にダイレクトに伝えるという取り組みは、極めて特徴的で、異彩を放っているように感じた。一方、「楽しかった」という印象で終わりかねない、イベント化してしまう、年によって当たり外れが生まれる、というリスクを再認識し、「背骨」となる部分の強化が課題であると感じた。「背骨」として据え置くべきは、やはり大学の歴史であり、建学の理念であり、建学者の人間味、キャラクターの紹介だろう。これらは「聞かせる」ことが非常に難しいテーマであるが、なんとしてでもやるべきであると思う。「満足感より安堵感」の部分を提供する必要がある。
最後に、寺崎氏が「自校教育は1年の春はなかなか効かない。せめて1年の秋にやるべきでしょう。少しキャンパスで過ごし、見聞した後の方が納得度が増す。」という話は非常に印象的であった。今後の検討課題となり得る。また、自校教育は決して「京都文教入門」1科目の話では無く、全学のあらゆる場面で、全構成員が意識してこそ初めて「自校愛」となり、卒業後も来てくれる「泉」となる。そしてそれが即ち大学の存在意義となり、大学の存続の力となるだろう。正課内外、あらゆる部署や施設、あらゆる場面、人と人とのつながりの中で実現しなければならない。
そのための一つとして、教職員が自校愛を持つこと、ESの向上を実現すること、「やりがいのある職場」を作ることが必要である、そういう風土を作ることが大切である、と感じた。
以上